日本では奈良時代、平安時代は統治とはんこが結び付き発展しました。今と違い金属製ですので、作り方は分かりません。
天皇のはんこを内印、中央政府のはんこを外印といったそうです。
天皇のはんこは金です。
やはり、偽造と戦いの歴史で、内印を偽造した時の罰、外印を偽造した時の罰、他のはんこを偽造した時の罰がそれぞれ書かれた文章が残っているそうです。内印はたくさんの種類があり、どれが本物か分からないそうです。
明治に入り、内印を作り直すに当たり、唐三寸を日本の三寸にしてしまい、サイズが大きくなってしまったそうです。更に隷書で最初作らせ、格式を感じないので、篆書で作り直したそうです。
はんこについて、あまり知らない人が口を出して、はんこの歴史を壊すのは昔からあったことなのですね。
紙幣に使われているはんこの印影、あれは彫った職人のベストでないものを役人が選んだのではと、思っています。
また大臣のはんこをなぜ、横書きにしてしまったか?まったく意味を感じません。はんこは縦書きの世界なのに。はんこの歴史、職人を否定しているようにさえ思えます。
鎌倉時代、統治とはんこの関係が無くなり、押す機会は減りました。日本独自なサイン、花押が始まりました。
花押については良く知りませんが一点だけ、花押は本人が必ずしも書いたわけではなく、秘書のような人が代行で書いていた例もあるようです。
たくさんの書類に必要な場合は、板に花押を彫って、墨で押したそうです。
鎌倉時代、はんこは仏教とくっ付き、面白く発展しました。
文字を彫らずイラストを彫って名前を表したものがあったり、梵字を彫ったものがあったりしたそうです。
現在、私が梵字を彫ったり、イラストだけ彫るように頼まれたりするのは、先人達がすでにしていたことなのですね。
この時代に朱肉が使われるようになり、柘植の木にはんこが彫られるようになりました。
最初、はんこ彫る技術者がいないので、印仏(小さな板に仏様を彫ったもの)を作っていた人に彫らせたようです。
歴史を追っていくとキリが無いので、はんこ歴史を考えることで、はんこの本質を理解しようとしていました。
はんこの本質、大前提ははんこはそれぞれ1本しか無いことだとあらためて気付きました。