2020年02月18日

東堂印章の歴史その6三代目荒見英樹編2

1.おしゃべりは三文の徳
親子で仕事をしていると、父の晩年は息子の方が彫っていても父が彫ったものと思われることが難しかったです。
父は70歳でお店に来れなくなり、それに伴い自由にお客様とおしゃべりができるようになり、お客様が増えました。
口から先に生まれて来た言われるタイプで、小学生の時に大学生のいとこを口喧嘩で負かしたことがあります。
父が真剣に彫っている横で、お客様と楽しくおしゃべりをすることはできず、自然とおとなしくしていました。
自由に喋れるって楽しい(笑)

2.ホームページとブログ
ホームページを作ろうと思い、妹の旦那さんのお姉さんに依頼しました。
ホームページ作りで、自分のできることが整理され、印相体でもあえて、アレンジのバリエーションを明らかにしました。アレンジの仕方をネットで公開してしまえば、真似されて仕方がないと思っていましたが、真似された気配がまったくありません。
ホームページは嘘でかためて、作ることができても、ブログで嘘を続けるのは無理と判断して頂き、ブログからお客様も増え、取材の依頼も来るようになりました。

3.サンク・カロさんが遊んで下さいと
しぶちかのはんこ屋の向かいの小さなスペースに、腕時計の皮ベルトをオリジナルで作っているサンク・カロさんが1年くらい出店していました。
モノづくりとローリングストーンズ好きで気が合い、仲良くなり、銀行印のご注文を受けました。
その時にサンク・カロさんに「遊んで下さい」と言われました。これがモチーフ入り印鑑の始まりです。サンク・カロという屋号はフランス語で5つのタイルの意味で、田口という名字が5つの四角で構成されているところからきているそうです。
そこで「田口」さまとお彫りする銀行印の中に文字とは別に5つのタイル(四角)をランダムに入れてみました。意外と良い出来栄えで、オリジナル感が増しています。この時に文字以外も彫れることに気付きました。
はんこ屋職人として変わっていく、一言を頂いたサンク・カロさんにはホントに感謝しております。
4.初めてのテレビ取材
こんな小さなお店をテレビに取材されて、混んでしまうのは、どうかなと思い、しばらく取材の依頼があっても、断っていました。
ところが、志村けんさん、本人が取材に来ると言われ、ドリフで育った世代としては、どうしても会いたくなり、取材を受けてしまいました。
志村さんの村の点をバカ殿さまにした印鑑がテレビで紹介され、考えられないくらい忙しくなりました。
このテレビの影響でとても良かったことは二つです。
ひとつ目は、パリコレのモデルさんが、手作りのはんこ屋さんは、ここですか?とご注文に来店頂いたことです。自分の人生の中にパリコレのモデルさんが登場することがあるなんてという驚きでした。
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東京の職人二人で営業している印鑑ケース屋さんが、テレビを見て下さり、納期が早くなったことです。父の代の時には、象牙のお客様だけ、ここのケースでした。ところが納期が早まり、すべての印材をここのケースにして、6色揃えるようにすると、個人のはんこ屋として、1番のお得意さんとなり、なにかと優遇して頂けるようになりました。

5.セレブさんからの予言。
ある時に仲良くなったセレブの女性にこんなことを言って頂きました。
「このお店は絶対繁盛するわよ。心正しいお店だから。私の予想当たるのよ。でも、忙しくなっても、私はいつまでも特別待遇でね」
つづく

posted by 一日3本 at 22:29| 歴史はお金で買えない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする