2020年02月01日

東堂印章の歴史その3初代荒見儀雄編2

初代荒見儀雄は、左手が不自由だったこともあり、毎日着物で仕事をしていました。
1.なんでも篆書体と受けて、自由に彫っていたようです
ご注文の時は、篆書体と受けていて、世の中に無い書体で彫っていました。
後の人のことを教えて、大学ノート1冊くらい、自分が彫った印影をとっておくものだそうですが何もありません。
昔からお客様に印影を見せてもらって勉強しました。文字に芯の通った良い印鑑です。
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2、納期も自由。
父が納期が間に合わないからと、断っているのに、祖父が横から接客し出して、注文を受けてしまうことが時々あり、なんなんだと思っていたと父は言っていました。
ちょっと三代目と似ているかも知れません(笑)

3.宮内庁の仕事を断る
あまりにもはんこ作りが上手なので、印章組合から宮内庁の仕事をするように、推薦されました。
ところが、最初に登録料がいると聞いて、彫り切れないほど仕事があるのに、なんで、お金を払って彫らなければならないんだと、宮内庁の仕事を断ってしまいました。
三代目としては、1年間で良かったので、仕事をしてくれていたらな〜と思うのでした(笑)
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4.印相体は簡単
篆書体より印相体の方が、彫る面積が少なくて、簡単と言っていたそうです。
そうですけど、凄いなと思います。

5.初代と三代目との思い出。
自分の中には記憶はありませんが、幼稚園に上がる前に、片手が不自由にもかかわらず、祖父1人で孫を渋谷の児童館に連れていって遊ばせてくれたそうです。その後、祖父は祖母に叱られたそうです。
3代目が小学生低学年の頃、お店に来て、はんこタワーが回るのが楽しくなり、どんどん回していたら、祖父に叱られました。
小学生4年の頃、将棋を少しすると、父より強くなり、父に祖父のところに連れていかれ、祖父と将棋を打ちました。コテンパンに負けて、3代目は将棋をやめました(笑)
祖父は3代目が小学校6年生の時に60代で亡くなりました。
見える人に、3代目には、祖父がついていると良く言われます。祖父がついているなら、はんこ作りが上手で、当たり前です(笑)
つづく


posted by 一日3本 at 12:12| 歴史はお金で買えない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする