2020年01月27日

東堂印章の歴史その1プロローグ

最近、新規で手彫り印鑑をご注文に来店された方々に、当店を選ばれた理由を聞いてみると、古くからあるお店だからというのが一番です。

以前お客様に「歴史はお金で買えないものということに、世の中が気付き始めたのよ」と教えて頂いたことがあります。正にそのような状況です。

お祖父ちゃん荒見儀雄が、どのような経緯で、ここにはんこ屋を開いたのでしょうか?
その歴史を紐解いていきましょう。

1.荒見儀雄、小学生ではんこ屋に丁稚奉公に出される
荒見という珍しい苗字、お祖父ちゃん一族は元々は富山出身で、一家で屯田兵として北海道に渡ったようです。
北陸銀行の支店が北海道に多いのは、北陸の人達が北海道に多く渡ったからだそうです

お祖父ちゃんが小学生の時に、味噌をぐつぐつ煮込んでいるところに左手を入れてしまい、大火傷、左手が開かなくなってしまいました。
そこで、荒見儀雄は小学生で、はんこ屋さんに丁稚奉公に出され、片手でとても上手にはんこが彫れるようになりました。

2.荒見儀雄、バツイチ子連れ女性と結婚して、満州を目指す。
はんこ職人として、やっていけることに自信を持ち、バツイチでしたがとても美人な女性と結婚します。
3代目からみると祖母に当たります。祖母はアイデアがたくさん出てきて、度胸がありました。
北海道から満州を目指して移動を開始したのは、おそらく、祖母のアイデアだったと思います。

3.東京で終戦を迎える
荒見儀雄一家は、結局満州まで、届かず、戦後焼け野原の状態の渋谷で、屋台のはんこ屋さんを開きます。渋東シネタワーの前辺りだったそうで、とてもとても良い場所で、商売を始められました。
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つづく
posted by 一日3本 at 21:26| 歴史はお金で買えない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする