以前お客様に「歴史はお金で買えないものということに、世の中が気付き始めたのよ」と教えて頂いたことがあります。正にそのような状況です。
お祖父ちゃん荒見儀雄が、どのような経緯で、ここにはんこ屋を開いたのでしょうか?
その歴史を紐解いていきましょう。
1.荒見儀雄、小学生ではんこ屋に丁稚奉公に出される
荒見という珍しい苗字、お祖父ちゃん一族は元々は富山出身で、一家で屯田兵として北海道に渡ったようです。
北陸銀行の支店が北海道に多いのは、北陸の人達が北海道に多く渡ったからだそうです
お祖父ちゃんが小学生の時に、味噌をぐつぐつ煮込んでいるところに左手を入れてしまい、大火傷、左手が開かなくなってしまいました。
そこで、荒見儀雄は小学生で、はんこ屋さんに丁稚奉公に出され、片手でとても上手にはんこが彫れるようになりました。
2.荒見儀雄、バツイチ子連れ女性と結婚して、満州を目指す。
はんこ職人として、やっていけることに自信を持ち、バツイチでしたがとても美人な女性と結婚します。
3代目からみると祖母に当たります。祖母はアイデアがたくさん出てきて、度胸がありました。
北海道から満州を目指して移動を開始したのは、おそらく、祖母のアイデアだったと思います。
3.東京で終戦を迎える
荒見儀雄一家は、結局満州まで、届かず、戦後焼け野原の状態の渋谷で、屋台のはんこ屋さんを開きます。渋東シネタワーの前辺りだったそうで、とてもとても良い場所で、商売を始められました。
つづく