このブログを書くにあたり、印相体の歴史についてネットで簡単に調べようと、検索しましたが見つけられず、逆に印相体を否定する記事ばかりが目に付きました。
印相体の創始者がいると思いましたが思っている山梨県六郷町のホームページをいくつが見てもはんこの歴史については,書いてあっても、印相体の歴史についての記載をみつけられませんでした。
逆に六郷町のホームページなのに書体名を吉相体として、説明文では印相体として書かれているものまでありました。
吉相体と印相体は違うと思っているのですが。
書体見本は、ちゃんと手彫りされているところが多いものの、印相体は運気アップの思いを込めた書体などと説明されていますが、残念ながら、そんな気を感じられる見本はありませんでした。
これはあくまでも個人的感想です。
六郷町なのに有名なはんこの下請け会社、松碵社さんの書体見本を使っているところさえ、ありました。
印相学の本を紐解いても、印相体についての記載はなく、
文字の形、配置は印相家に任せましょうとなっています。
ここは、調べる専門家のまったりさんに、
印相体の歴史について書いてあるところを探してもらうしかありませんね(笑)
ということで、不確か情報、あやふやな記憶に基づき、更に想像を交えた
空想の印相体に関する記事を始めてみましょう。
<印相体の始まり>
印相体は、おそらく明治時代に、山梨県六郷町で生まれた日本独自の書体です。
円を八等分し、篆書体をもとに文字を伸ばしていき、
その八つの空間を埋めるように配置し、八つの方向の枠と文字を接するようにする書体です。
このことから八方篆書体とも呼びます。
印相体、開運はんこを全否定しているのが売りのサイトをうっかり見てしまい、でも、そこで、江戸時代に篆書の八方崩しという書体があり、偽造防止のために、読めないようにしたとありました。
確かに読めないと、同じように彫れないかも知れません。
どんな書体なのでしょうか?
否定さんによると、八方篆書体とは、まったく違うもので、そもそも八方篆書体など、書体として認められていないというようなことが書いてありました。肩肘張って、疲れないのかなと心配してしまいます。
否定さんのサイトに飛ぶと、八方崩しで注文できるのかなと思いましたが、よく見たわけではないですが、ごく普通の書体での注文だけのようで、ごく普通の書体見本でした。
ネットは便利なもの、八方崩しで画像検索すると出てきました。
なんだ、この書体知っています。
印影の見本の本の中にあり、いつかこんな風に彫ってみたいと思っていたものでした。
細い印相体のアレンジの一つと言っても良いくらいの感じです。
ハンコはコントラストで美しく見せるものです。

文字が細いので、枠を太くすると、カッコいいです。

こちらはあまり太さの違いが出ていませんので、文字の方も少し太く枠はそのままにすると、もう細めな印相体です。
たくさん枠に文字が接していて、現代の偽造対策にもなります。
難点は、ホントに読めないので、実印には向かないことです。
はんこ屋でさえ、なんと彫ってあるか分かるので、なんとか文字が分かりますが、もし印影だけですと、読むのにかなり時間がかかってしまいます。
篆書体をこのように大胆にアレンジすることをありとした、江戸時代の職人さん達に脱帽です。
誰が編み出したのでしょうか?
こんなに篆書を大胆にアレンジして良いということ、
文字と枠がたくさん撤して接していること、印相体発祥のアイデアにもとになっていたのかも知れません。八方篆書体が八方崩しの影響があったと考えたくなります。
ホントだったらいいな〜(笑)
想像です。
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