昔、書家として生きていこうと思っていたそうですが、
結婚して子供ができ、とにかくお金が必要になり筆耕屋になったそうです。
根は書家なので筆耕屋と書家の中間というか、
筆耕屋でありながら書家の要素を取り入れることができる数少ない人です。
書家としても新聞社の賞を受賞し、
その作品を是非買い取りたいという申し出を
受けてしまったことをいまだに後悔しています。
その先生がお店に来た時に、
ちょうど上昇印相体で1本彫り上がったところなので、
見てもらいました。
「上昇印相体といって印相体を上向きにしたもので、
この書体で彫った印鑑が欲しくて、
遠くからも来てくれるお客様もいるんです」
「篆刻の勉強はしてこなかったからな…
コクイというのを知っているかい。
字はこう書くんだが(刻意)」
「いや知らないです」
「はんこは、書いたものを削って字にする。
書は筆で書いて字を表現する。
刻意と筆意、彫ったものがすばらしいか、書いたものがすばらしいか。
昔からいわれてきたことなんだ」
「比べられるものではありませんよね」
「筆意と刻意は言葉にしてしまうと、ちょっと違ってしまうのだが。
『(先生、)刻意の方が素晴らしいでしょう』と
印鑑を見せるくらいにならなければならない」
「はあ」
「時間はかかるかも知れないが、
そう言ってくるのを楽しみに待っているよ」
その後、先生が40代の頃、
友達のために鏡(姿見)の枠を彫った話になり、
お金ではなく友人のために彫刻したものは、
その友人の自宅の壁に埋め込まれ、
いまだに一番の宝だと言われているとそうです。
『友人ために』『お金のためでなく彫った』と
キーワードが頭の中で回りました。思い浮かびました。
「先生に自慢するはんこありました。
向かいで1年間営業していた
手作りの時計の皮ベルト屋さんのために龍の印鑑彫ったんです。」
先生に印影を見せると
「なるほど、これはいいかも知れない」しげしげと見て頷きました。
そして最初に見せた上昇印相体の印影をもう一度見て頷きました。
お気に召したようです。
しかし刻意の話は難しく理解したとは言えません。
この流れで明日の『龍の印鑑1』につづく
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