2020年01月29日

東堂印章の歴史その2初代荒見儀雄編1

戦後焼け野原の渋谷で常設屋台ではんこ屋を始めた祖父の荒見儀雄、左手が開かなくても上手に彫っていくのをその屋台で見れることもあり、繁盛していたようです。
しかし昭和25年、常設屋台を退去させる動きになり、
渋谷では、のんべい横丁が作られて飲食店は移転して商売を始めました。
物販は店舗数が多く、代替え地が渋谷でなかなか見つからず、東京都の人から、地下空間を使うというアイデアを頂いたそうです。
露天商の物販の人達は、元満鉄社員の並木貞人さんを信じて、露天を畳んだようです。

しぶちかのできるまでの約7年間、初代の荒見儀雄は何をしていたかというと、恵比寿にあった下総堂というはんこ屋さんの仕事を中心にした下請けではんこを彫っていました。
当時は既成の認印も彫っていたようで、
1日100本くらい認印を普通に彫っていたそうです。
今の機械彫りよりも早いような(笑)
なぜそのように早く彫れたかというと、彫るための字入れはしないで、縦横の真ん中に線2本引いただけで認印程度は彫れたからだそうです。
祖父が小学生の時から沢山のはんこを彫っていたからこそ、できた技です。
今、三代目が彫っているのをもし見たら、遅いと叱られそうです(笑)

一方、並木貞人さんは、信じてくれている人達のことを思って頑張って地下空間の建設許可を頂きました。
ところが、日本で初めての地下商店街作りは資金面で大きな壁にあたっていました。
日本で初めての地下商店街なので、、誰もがその価値の判断が付かなかったことが、大きな要因の一つだったようです。
行き詰まった並木貞人さんは
東京都の信頼をおける人に相談すると、大企業グループのTと一緒に、渋谷の地下街を作ることを勧められました。
しぶちかの45年記念誌の中で、並木貞人さんは大企業グループTと組むことの危険性を懸念していたことが書いています。Tが利益追求してきた時に、露天商の集まりでは対抗のしようがないではないかと考えていたそうです。

地下街建設のためには、Tと組まざるを得ず、建設許可を、Tに譲渡しTが建設、Tから元露天商に150坪の無償譲渡する。他は一切求めないということで、東京都と共に合意し、建設が始まったそうです。
ところが、昭和32年夏.もう少して地下街完成、本契約という段階になってから、大企業グループTは合意内容を覆し、150坪の無償譲渡はしない、貸すだけとして、まったく譲らなかったそうです。
今まで話してきたTの担当者は転勤してしまったそうです。
並木貞人さんの懸念が現実となってしまいました。
昭和32年12月1日に今のフードショウの所に東光ストアがオープンしても、地下街はオープンしませんでした。
新聞記事になっています。
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並木貞人さんは苦渋の選択をして、Tの要望を全面的に受け入れて、昭和32年12月11日に渋谷地下商店街がオープンしました。

日本で初めての地下商店街ということで、視察も多く、父がデパートより高い値段を付けた方が売れたと言っていました。

並木貞人さんは、力をつけていき、T側の主張に対してもノーと言えるようになっていきます。
つづく
posted by 一日3本 at 10:40| 歴史はお金で買えない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月27日

東堂印章の歴史その1プロローグ

最近、新規で手彫り印鑑をご注文に来店された方々に、当店を選ばれた理由を聞いてみると、古くからあるお店だからというのが一番です。

以前お客様に「歴史はお金で買えないものということに、世の中が気付き始めたのよ」と教えて頂いたことがあります。正にそのような状況です。

お祖父ちゃん荒見儀雄が、どのような経緯で、ここにはんこ屋を開いたのでしょうか?
その歴史を紐解いていきましょう。

1.荒見儀雄、小学生ではんこ屋に丁稚奉公に出される
荒見という珍しい苗字、お祖父ちゃん一族は元々は富山出身で、一家で屯田兵として北海道に渡ったようです。
北陸銀行の支店が北海道に多いのは、北陸の人達が北海道に多く渡ったからだそうです

お祖父ちゃんが小学生の時に、味噌をぐつぐつ煮込んでいるところに左手を入れてしまい、大火傷、左手が開かなくなってしまいました。
そこで、荒見儀雄は小学生で、はんこ屋さんに丁稚奉公に出され、片手でとても上手にはんこが彫れるようになりました。

2.荒見儀雄、バツイチ子連れ女性と結婚して、満州を目指す。
はんこ職人として、やっていけることに自信を持ち、バツイチでしたがとても美人な女性と結婚します。
3代目からみると祖母に当たります。祖母はアイデアがたくさん出てきて、度胸がありました。
北海道から満州を目指して移動を開始したのは、おそらく、祖母のアイデアだったと思います。

3.東京で終戦を迎える
荒見儀雄一家は、結局満州まで、届かず、戦後焼け野原の状態の渋谷で、屋台のはんこ屋さんを開きます。渋東シネタワーの前辺りだったそうで、とてもとても良い場所で、商売を始められました。
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つづく
posted by 一日3本 at 21:26| 歴史はお金で買えない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月23日

一色にまとめる技術

前回に引き続き、
一色にまとめることがモチーフ入り印鑑を作るにあたって重要なことの例です。
カラフルな鳳凰を一色にまとめました。
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posted by 一日3本 at 19:10| モチーフ入り印鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月22日

モチーフ入り印鑑を作る側に重要なこと

モチーフ入り印鑑を作る側が、まず考えておかなければならないことは、なぜモチーフ入り印鑑を注文して下さるかです。
それはお客様自身のために作られた印章であることをより実感するためということが、深いところに必ずありますので、そのことを、注文する側もされる側も良く考える必要があります。

ここがただイラストが入っているハンコとの大きな違いです。

作る側の能力として重要なのは、モチーフを一色にまとめるセンスです。
ハーフトーンも無い朱か白かの世界が印鑑の世界です。
たくさんの色があるモチーフを一色にまとめるには、鍛錬が必要です。

今回は御神輿の上にある鳳凰が希望でした。
これは金一色で、シルエットするとつまらないので、白い部分も作りました。
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posted by 一日3本 at 10:32| モチーフ入り印鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月21日

シカゴからのお客様

世界に向けては、アート作品等に押す落款印と、はんこの本体は無しで、はんこのデザインだけを販売していくべきだと、一昨年気付き、それに向けて準備、検討をし始めていました。
ところが、立退問題が発生し、管理会社としぶちかの組合の理事長のまったく論理的でない、やり方に呆れながら対応するために、新しいことへのチャレンジに集中できず、中断しています。

そんな中、昨年12月、シカゴから当店のホームページを研究した上で、モチーフ入り印鑑をご注文にアメリカ人男性にご来店頂きました。。
お仕事はIT系だそうですが、趣味で、水墨画風の絵手紙を書いていて、それに押したいとのことです。
ホームページにある見本の感じで、モチーフはロードバイク。
iPadで調べて、ロードバイクをザッと書くと、
もっとラフにささっと書いた感じで自転車と分かれば良いというのが、好みと分かりました。
ご来店頂かないと伝わらないニュアンスです。

はんこ屋は絵が苦手なので、なるべくホントに近い形から、はんこに彫れるように省略していきます。
ところが今回は、ラフに書いた感じでロードバイクと分かるように、これは絵の上手い人ができることです。
日本人ならば、絵の上手い人に要求することで、ハードル高いな〜と嘆いて、大変さをアピールして恩をうるところです(笑)
英語で言えませんし、言えたとしても、やらないと言っているのではなく、大変さをアピールしているだけなんだと言うニュアンスが伝わるかどうか?
なので、素直にあなたの希望は分かったよと、そんなイメージでロードバイクを書くと、あなたのことを信じているので、最終的にはお任せでと注文して頂きました。
シカゴから来ていますので、はんこ屋のことを信じていて、当たり前です(笑)

作る段になって、ロードバイクの省略形の形を作り、それを一気に書いたようにトレースして印稿を作りました。

これが完成です。
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これからの望むべきお客様でした。
世界のアーチストさんより、趣味で作品作りをしている方々の方が、収入が安定していて、当店のお客様になりやすいことに、気付けました。
posted by 一日3本 at 09:48| インターナショナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

2020年スタートしています

令和2年1月4日から東堂印章は営業を開始しています。
まずは、初詣とお店の近くの穏田神社さんに行きます。
お詣りを済ませて、大企業グループと対決中ですので、社務所で勝守とおみくじを引きます。
巫女さん風の人に、ここの御朱印に使われているはんこは、ぼくが作ったんですよと自慢します。

おしゃべりできたことに納得して、そのまま戻ってお店を開けそうになりました(笑)
そうだ、おみくじを引いたんだと見てみると、
大吉。今年も引けました。
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ラジオで、おみくじは、書いてある言葉が重要と教わりましたので、読んでみると、どんな状況でも嘆かずに、ニコニコしていなさいとのメッセージでした。これ、得意です(笑)

そして4日は、お得意様が名刺を取りに来て頂くことから始まり、仲良しのお客様さんがコージーコーナーのエクレア、一緒に食べましょうと持って来て、頂いたところに、6カ月の赤ちゃんの為の手彫りの銀行印を注文にご夫婦が来ていただけました。

毎年、最初の手彫りのはんこを注文のお客様が来るまで、緊張すると言っていました。ここ数年、初日の早い時間に、ご注文があり、緊張する間もなく、日常業務が始まります。
その後、日本人と外国人から機械彫りのご注文を受け、大学時代の友達が挨拶に来て下さったり、個人の実印の受取り、会社印の受け取りと、こんなに忙しい初日は記憶にないなと思いました。
ツライ思い出を消し去っているのかも知れません(笑)

どうしても彫らなければならないはんこ2本が彫り上がったのは、午後11時半頃。

でも、どんな状況でも、ニコニコなので、たくさん喋りました。
会社印、受け取りの人には、おみくじは大吉を引いて当たり前な話をしました。
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近所の八幡さんは、おみくじが見えて、自分で選べるので、光っているものを取れば、それが大吉なので、簡単。
今回は振って棒が出てくるタイプで6番が出て大吉。
いつも大吉が普通。

小学生の頃は大吉しか出ていなかったのが、大人になり、大吉が出なくなり、息子が大吉ばかり出すのを見て、狙って大吉を引き始めたところ、ほぼ大吉になった話をしました。
狙って大吉を引こうと思ったことありませんでした。近々引いてみますと帰っていきました。

どんな状況でも、ニコニコではなく、どんな状況でもおしゃべりになっている気が(笑)

今年もよろしくお願いします。
posted by 一日3本 at 10:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする